いつの間に亜さぬ間に

部屋と男とYシャツと泪と私

「賢い」ということの考察

「賢い」ということはよく使われる言葉で普段から非常に気になる言葉だ。

調べてみると、「頭がよい。才知がすぐれている。利口だ。」とのこと。

勉強ができるということは、賢さの要因の一つだと考える。

 しかし、某有名大学卒業の人間を指し、少し仕事ができなかったりすると、「勉強ができるやつは使えない」という発言をよく耳にする。ここから「勉強ができなくても賢い人間はいる」ということが導き出されもしている。

本当にそうだろうか?

私には、人間的にも能力的にも尊敬できる東大卒業の知人がいる。

結局のところ、賢さと肩書は無関係だということが分かる。

では学歴が自慢できなくても、仕事ができたり、お金儲けがうまい人間は賢いのだろうか?

それも賢さの一つの要因であろう。しかしそれだけでは賢いとは言えない。

 

どうやら、賢くない人間とは何か?を考えてみたほうが早いかもしれない。

 

私がいつも感じる賢くないと感じる人間は、勉強ができる、できない、などと短絡的な評価で人間を決めつける人間だ。偏見を持った瞬間から賢くない人間だと思う。

高学歴であれば評価のハードルが高くなる傾向にあるが、低学歴であったとしても仕事ができれば「低学歴なのに賢い!」と評価するのもよく見受けられる。低学歴の人間に勇気と希望を与えるような話ではあるが、それもおかしい。

私自身は自分が高学歴とか低学歴だという認識はまったくないのだが、低学歴にコンプレックスを持っている友人に「お前はいいよな、勉強ができたから」と言われる。私は断じて勉強はできない。4時間睡眠で1年間勉強したからだ。勉強ができない人間は、勉強ってのは自動的にできるようになるものだと誤認しているようだ。他人の努力に眼を向けられないのはやはり賢くない。

また、「その分野は苦手なので、無理です」的な態度は賢くない。人の話を聴かない、自分を過小評価している人間は賢くない。

さらに、現状に満足、妥協して日々のらりくらりと生活している人間は賢いとは思えない。安心や安定を得てしまっている人間は恐らく賢い状態だとは言えない。

賢さの条件が少し見えてきた。

苦手だけれどその人の話を親身に聴いたり、やってみて問題点があれば相談する、そして少しでも向上していく人間が賢いと考える。

私はいろいろな立場を理解しようとし、あらゆる視点を持ち、柔軟で、自分の足でしっかりと立ち、常に前を向いて歩ける人間になりたい。

P.S「賢さ」に対する決めつけ(偏見)もまた賢くないので、この内容は常に進化していく。